他人の目が気になるのは、「心の習慣化」が完了してないから
習慣化してないことをするのは、疲れる。
「お風呂」
「歯を磨く」
「自炊をする」
「筋トレ」
「仕事」
これら、毎日していることは疲れない。
朝起きて、歯を磨くかどうか悩めば、疲労が蓄積されるし、
ほとんどの人は、悩まず歯を磨く。
別に考えることなく脳より先に身体が動く。
思考してる時点では「習慣化」になってなくて、思考した分、疲れるけど、
毎日やっていくと、思考しなくなり、実質、身体だけが動く状態になる。
今、ブログを書いてる。
毎日、書いてないから、ものすごく疲れる。
毎日、ブログを書いてるとき、考えるけど、今のように無駄な思考がなく、ほぼ直感だけで書けてる感覚があって、毎日書いてるときのほうが疲れない。
今、筋トレが日課になってるけど、疲れない。
やり始めは、いちいちやるかどうか悩み疲れるけど、続けていくと、悩む時間が減り、身体が勝手にやってくれる状態になる。
もちろん、習慣化したのほうが疲れない。
これは、「メンタル面」でも同じことが言える。
言いたいこと言うのが当たり前の人は、誰に対しても言いたいこと言えるし、
分からないことは聞くことが当たり前の人は、どう思われるか気にせず、聞けるし、
困ったときに助けてもらうことが当たり前の人や自分以外の誰かがやったほうが早い案件をその誰かに任せることが当たり前の人は、普通に他力を使える。
反対に、
言いたいこと言うのが当たり前じゃない人は、いざ言いたいこと言うときに、
いちいち他人にどう思われるか気にするし(自意識過剰)、他人の目気にする。
小学校、中学校暗かった人が、高校デビューして明るくなろうとするとき、
他人の目めっちゃ気になる。
ワックス付けたら、誰かに、「中学校のときと全然違う」と思われてるだろうかと、気にするだろうし、髪にワックスが始めてなら、「つけ方変」と思われるだろうかと、気にする。
でも、そう思われながらも、自分が思う高校デビューすれば、周りからすれば最初違和感でも、周りの景色になじむし、本人は他人の目を気にしなくなる。
他人の目を気にする時点では、心の習慣化が完了してない。
他人の目を気にしなくなりたいのであれば、「他人の目がなかったら」ということにして、行動する。
当然、その前提だと、言いたいこと言うだろうし、分からないことも聞くと思う。
恥ずかしいとか怒られるかもという他人の目がないということにして、行動してるんだから。
そうやって、「他人の目がなかったら」ということにして、行動しまくった結果、
他人の目を気にしなくなってる。
他人にどう思われるかとか、他人の目が気になってるのは、「心の習慣化」が出来てない証拠だし、その上で、自分の思ったことをやり続ければ、他人の目なんてどうでもよくなる。
始めて一人焼き肉行くより100回一人焼き肉行ってる人のほうが他人の目ないよね。
始めてワックス付ける人より100回ワックス付けてる人はどう思われるだろうかなんていちいち考えないよね。
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