「友達がいっぱいいること=幸せである」というのは、間違い

僕には、向上心がない。

知識を身に付け、ほかのひとに偉く思われたいとか、仕事が出来て、信用されたいという欲がない。

まったくないと言われたら、嘘になるが、でも、あまりない。

認められたいとか愛されたいとかそういった類の欲は、あるにはあるが、周りの人と比べて、ないなと思う。

小さい頃から、欲に対して、無頓着だった。

もちろん、あるには、あった。でも、途中で、めんどくさくなるのだ。

友達と仲良くなるという行為そのものがめんどくさく感じる。それは、今でも、そうだ。

無理して、友達と、共通項を作ることが、年がたてば、たつほど、めんどくさくなってきた。

最初は、友達を作るために、奔放してたんだけど、ある時、僕は、気づいた。

僕にとっては、友達を作ることは、向いてないし、そもそも、友達ができたことが、幸せに直結しないと分かったのだ。

世の中的には、友達はいっぱいつくったほうがいいみたいな流れがあるかもしれないけど、それは、あくまで、ほかの人の声であって、各々にとって、その考えが正解かどうか分からない。

自分自身が、友達を作る行為に、無理を感じないというなら、友達を作ればいいし、友達を作る行為に、無理を感じるなら、友達は作らなくていい。

そこに、正しいか正しくないかの物差しはいらない。それは、世の中とか常識といった、客観的なものであって、自分には関係ない。

大事なのは自分がどうするかなのだ。楽しいか楽しくないかという物差しでいい。

僕は、人生の岐路に立たされたとき、この、楽しいか楽しくないかの感覚が一番自分にとっての、判断材料だ。

そこの、判断材料で、物事を選択すると、自分は後悔しない。

先々、どうなろうが、主観で判断したものだから。月並みの言葉だが、やらなくて後悔するより、やって後悔したほうがいい。

僕も、今まで通り、やって後悔を選ぶ。やって後悔をずっと選び続ける。

そうすれば、自分で自分を認めてあげられる状況は作られると思う。

人は、他人から認められることを考えてる。仕事でも、恋愛でも。

その考えが行き過ぎると、他人に、好かれるために、嫌われない言動が目立ってくる。一見、良さげだが、それでは、他人には、好かれるかもしれないが、自分には嫌われる。「媚びる」とは、その典型例だ。嘘をつくのは、身体にも心にも悪い。

僕なんかは、その状況が、すごく、めんどくさいから、他人に認められたいという欲も捨てる。その代り、自分に認められるように動く。

人生短いから、他人のこと考えて過ごすのは、時間とエネルギーの無駄。

自分のことだけ、考えよう。