失敗しても、99%は感情が揺れて、現実はそのまま

実際に、仕事で失敗する。すると、

・ネガティブになる

・落ち込む

・悩む

失敗する=落ち込むはセット。

失敗する=笑ってるはベストだけど、ほとんどの人は失敗する≠笑ってるだから。

でも、失敗した後の実際の対応、感情のコントロールさえうまく行けば、失敗する=笑ってるに近づける。(無理して、笑おうってことじゃないよ)

まず、人の本質が一番出るのは、失敗した後だということ。

その人の性格、人間性を見たいなら、仕事がうまくいってるときではなく、失敗したときだというとき。

うまくいってるときは、みんな性格がいいから。

うまくいってるときは、何もしなくても、感覚だけで動いてくれる、いわば、自動運転だけど、失敗した後は、自分で舵、ハンドルを切らなければならない。

そこだけ、完全に手動になる。

手動だけど、やるべきことは決まってる。

物事の答えに難しいものはない。答えはシンプル。

悩んでる人は時よりすごく考えてるように見えて、頭が良さそうに見えるけど、実際は、悩んでる人は、バカ。

失敗した後の対応に関わらず、

「誘いたかったら、誘いましょう」

「休みたかったら、休みましょう」

「分からなかったら、聞きましょう」

「言いたかったら、言いましょう」

悩んでる人は、「誘いたかったら、休みたかったら」という感情を浮遊させているだけ。

決めて、やれば、悩みは消える。

失敗した後の対応も同じ。やるべきことは、

「失敗したことを上の人に報告する。最後にすいませんと頭を下げる」

これがベスト。

実際これをやるやらない別にして、頭の中では、みんな一番始めに思いつく答え。

報告するかどうか長い時間かけて悩む人、または、報告せずに、失敗したことを隠せると思って隠す人(その場は隠せるけど、後々バレることのほうが多い)に共通してることがある。

それは、失敗したら、何かが起こると思ってること。

失敗しても、感情が揺れてるだけ。

報告して、怒られて、落ち込んだ瞬間、感情が揺れた。

その後、目の前の現実を直視すると分かると思う。

社会や会社は平常通り運転する。失敗して、空いた穴を上の人がいつのまにか埋めて、失敗する前に、戻ってる。

何かが起きても、結局、何かが起こる前に戻る。

空いた穴が埋まるのは、この世界の特性であり、失敗しても、何も起こらないを腑に落とさせる大事な証拠である。

覚えておいてほしい。額縁にでも飾っておけ。

「失敗しても、99%は感情が揺れて、現実はそのまま!」

 

 

 

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 心理学へ
面白かったら、クリック!

 

読者登録よろーー

  ⇩

 

SNSもやってるんで、もしよかったら、フォローしてください( ´∀` )

 

Twitter: https://twitter.com/football8955?lang=ja

 

Facebook: https://www.facebook.com/profile.php?id=100014513885474

世間で良いとされてるもの(社会的な成功)を持ってない人へ

世間で良いとされてるもの。

これさえ満たせば、「リア充」認定されるもの。

〇彼女(彼氏)がいること

〇友達が多いこと

〇正社員であること

〇イケメン(美人)であること

〇高収入であること

〇結婚して、子供がいること

〇モテまくってる

僕自身、友達もいないし、彼女もできたこともないし、小中「ブサイク」だと罵られ、大学に入っても浮いた話もない。

まじで、なんとなく世間でこれ持ってたらかっこいいよねって言われてるものを、持ってない。

何も持ってないことを実感できるのは、知り合いに会ったときだ。

知り合いに会って、毎度思うのは、「僕がその人に劣等感を抱くことはあるけど、知り合い全員僕に対して劣等感を抱くことはないだろうな」ということ。

僕は何も持ってなくて、周りの人は少なからず何か持ってるなという感覚である。

僕の幼馴染が結婚してて、普通に子供がいてたりすると、素直に「負けたな」って思う。

僕は自分のためにしか生きてないけど、幼馴染は家族のために生きれる。

僕は自分しか幸せにできないけど、幼なじみは少なくとも3人は幸せにできる。

どっちのほうが社会に貢献してるだろうか?と考えたとき、幼馴染だろうなって何気に思ったりする。

素直に感心するし、素直に負けたなって思うし、大卒で就活して就職した人たちを見て、まじで偉いなって思う。

だって、僕には、世間でいいとされてるものを取るセンスがまったくないから。

友達がいて、彼女がいて、正社員でお金を稼いで、結婚して子供がいて、持ってる人からすれば普通のことかもしれないけど、僕から見ればすごいことをやってのけてるなと思う。

そうやってすごいなと感心するけど、僕自身欲しいのか?と言われるとちょっとよく分からないのだ。

〇彼女(彼氏)がいること

〇友達が多いこと

〇正社員であること

〇イケメン(美人)であること

〇高収入であること

〇結婚して、子供がいること

〇モテまくってる

こうやって眺めてみると、特にここ数年、これがなくても幸福感を感じられたなと思う。

幸せになるのと社会的成功は違うみたいだ。

成功したからって、幸せになるわけでもないし、成功しなかったらって、幸せになれないわけでもないのだ。

彼女はいないけど、読みたい漫画はいっぱい読めて、普通に幸せだなって思うし、

世間でいいとされてるものを取るセンスがないって分かった時点、自分が今「ある」もので楽しむしかないと思った。今「ある」お金で、楽しめるものは何か?

漫画を読む、映画を見る、料理をするってしていた結果。

まぁ、社会的に成功しなくてもまぁーいっかっていう感じになった。

来年は、「世間でいいとされてるもの」取りにいきたいし、少しでも手に入ったらいいな。

 

 

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 心理学へ
面白かったら、クリック!

 

読者登録よろーー

  ⇩

SNSもやってるんで、もしよかったら、フォローしてください( ´∀` )

 

Twitter: https://twitter.com/football8955?lang=ja

 

Facebook: https://www.facebook.com/profile.php?id=100014513885474

 

 

心がゆるめば、身体もゆるむ

スポーツ、仕事でベストパフォーマンスを出したいなら、「脱力」した状態になったほうがいい。イチローバカボンド佐々木小次郎とろサーモンの久保田もめっちゃ脱力してる。

M-1って普通、緊張して出場者って若干、顔強張ってたりするんだけど、久保田だけちょっと違う風に見えた。

やる気なく、ゆるい感じで漫才やってる。まさに、「脱力」。

 

 

脱力するときのアドバイスで、「リラックスして行こう」的なやつがあるが、普段から「脱力」してない人が、本番いきなり「脱力」できないからね。

お仕事だと、毎日本番だと思うから、「脱力」メソッドを意識して最初の内は脱力を実感できないけど、後々、楽になるってことだからね。

身体的な脱力もあるんだけど、その前に心の脱力がある。

脱力のピラミッドがあれば、一番したが心の脱力があって、心の脱力すれば、勝手に体もゆるい状態になる。

どうやって、心を脱力させるかというと、固定観念を手放すこと。

固定観念とは、

「失敗してはいけない」

「失望させてはいけない」

「嫌われてはいけない」

「頼ってはいけない」

「常識に従わないといけない」

を手放すってこと。固定観念はマイルールと言い換えてもいい。

社会のルールじゃなくて、マイルールだよ。「失敗してはいけない」「遅刻してはいけない」が社会のルールだとしても、周りに失敗してる人、遅刻してる人いっぱいいるよね。ということはそのルールを採用してるのは、自分だから、社会のルールじゃなくて、マイルール(固定観念)ってことね。

でね、これ、論理的に説明するより、頭の中でイメージしてもらったほうが分かりやすいと思うんだけど。

まず、マイルールが多い人って、脱力してなさそうでしょ。

「ミスしてはいけない」「頼ってはいけない」って注意しながら生きてる人って、たぶん顔強張ってるのよ。

手のひらを「パー」にした状態が脱力だとしたら、限りなく「グー」に近い。

こういう人に「接客業は笑顔が大切だよ」とか「リラックスしようね」というアドバイスは表面的すぎて無駄に終わる。

根っこの固定観念を手放せば、心は脱力するし、「リラックスしよう♪」は達成される。

どうするかというと、「~してはいけない」を「~してもいい」に変換する。

「失敗してはいけない」➡「失敗してもいい」

「失望させてはいけない」➡「失望させてもいい」

「嫌われてはいけない」➡「嫌われてもいい」

「頼ってはいけない」➡「頼ってもいい」

「常識に従わないといけない」➡「非常識でもいい」

 頭の中で変換するだけでは意味がないから、仕事なら仕事で体感する。

「失敗したら....」どうなるか?

「頼ったら....」どうなるか?

僕の体感では、ほぼ何も起こらない。

失敗しても感情がざわつくだけ。まじ現実は何も変わってない。

失敗しても何も起きないを体感して、腑に落とす。

失敗して➡誰かが代わりにやってくれる➡迷惑かけたと思う➡目の前はいつも光景

失敗して➡怒られた➡落ち込む➡感情がざわついただけ➡目の前はいつも

「失敗してはいけない」は不安で生きてる。

失敗したら何かが起きるのではないかと怯えてる。

実際はほぼ何も起きらない。それを「失敗してもいい」の人たち。

この人たち安心で生きている。

失敗しても、けがしないを分かってるから、何回でもチャレンジできる。

結局、昨日と同じようなことを書いた。

 

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 心理学へ
面白かったら、クリック!

 

読者登録よろーー

  ⇩

SNSもやってるんで、もしよかったら、フォローしてください( ´∀` )

 

Twitter: https://twitter.com/football8955?lang=ja

 

Facebook: https://www.facebook.com/profile.php?id=100014513885474

 

 

「ミスしてはいけない」と思うのは、疲れませんか?

毎日、気分よく過ごすためには、やりたいことだけやればいいって、よく聞くよね。

間違いじゃないよ。それに従って、漫画読んで、映画見て、料理作って、スポーツすればいいんだけど、それとは、気分よく過ごすための裏技があるから、教えるよ。

 

それは、自分の「怒りポイント!」を見つけて、その裏に隠された「ほんとは、どうしたいか?」というメッセージを素直にやるってこと。

 

例えば、友達と遊ぶ約束をしてて、その友達が約束の時間から遅刻してきて、怒りの感情が湧いたとしよう。(はい、怒りポイント!

なぜ、怒ったかというと、その人は、

「遅刻してはいけない」というマイルールで生きてて、目の前に、そのマイルールを破る奴が現れたから、怒った。

自分もよく遅刻してれば遅刻した人に対して、寛容だと思う。

寛容じゃないってことは、「ほんとは、遅刻したいのに」と欲求不満の状態で、目の前にその欲を満たしてる人が、怒るっていう図式。

ダイエット中に、横でポテチ食われたら、腹が立つ。

なぜ、腹が立つのかというと、簡単じゃん。「ほんとは、ポテチ食べたいから♪」

だろう。

でね、僕の場合は、友達が遅刻してきて、腹が立ったら、その友達に、「次、僕が遅刻するね♪」っていいます。(今はほぼないけど)

だって、単純に、「遅刻してはいけない」と思い続けるのは、疲れる。

だから、「遅刻するね♪」って言うか、実際、次、遅刻することで、

「遅刻してもいい」にシフトしていく。

遅刻だけじゃなくて、あらゆる「~してはいけない」は「~してもいい」に変換する。

「ミスしてはいけない」➡「ミスしてもいい」

「負けてはいけない」➡「負けてもいい」

「仕事ができなくてはいけない」➡「仕事できなくてもいい」

「失望されてはいけない」➡「失望されてもいい」

「他人に頼ってはいけない」➡「頼ってもいい」

どっちが精神的に楽かを考えてみればいい。

「ミスしてはいけない」と思いながら、仕事すれば、エネルギーの消耗もはやい。

たぶん、「ミスしてはいけない」と思いながら、仕事してる人の顔は笑ってない。強張ってる。

Twitterの投稿で読んだけど、よくミスする部下に対して、上司が「安心して、失敗してもいいよ。部下の失敗の後処理をするのが上司の仕事だし、上の人の仕事だから!」

と言ったところ、その部下の失敗の数が驚くべき減ったようだ。

メンタルは直に仕事にもプライベートにも影響する。

背負い投げで投げられたときに、床がコンクリートだと思ってる人(失敗してはいけない)と背負い投げで投げられたときに、床がふわふわなベッドだと思ってる人(失敗してもいい)

どっちが柔道が上手くなるだろうか。どっちが仕事が上達するだろうか。

一回、背負い投げされたら死んでしまうと思ってる人よりふわふわのベッドの人のほうが何回投げられて死なないと分かってるから、場数が踏める。

場数の数だけ、上達する。

 

 にほんブログ村 哲学・思想ブログ 心理学へ
面白かったら、クリック!

 

読者登録よろーー

  ⇩

 

SNSもやってるんで、もしよかったら、フォローしてください( ´∀` )

 

Twitter: https://twitter.com/football8955?lang=ja

 

Facebook: https://www.facebook.com/profile.php?id=100014513885474

 

苦労だと思ってることは、少しでも楽になるようにする

難しいことを難しいまま説明するのはバカ。

徳川家康が分からないのに、江戸幕府徳川家光の話するのはバカ。

まず、徳川家康のことを細かくかみ砕いて、簡単な言葉で説明しないと。

難しいことは簡単にする。

それと同じで。

自分が今、苦労だと思ってることは、少しでも楽になるようにする。

疲れる仕事は、出来るだけ疲れないようにする。

苦労する、疲れるということは体力・精神の限界を迎えやすいということだ。

1kgの買い物袋を軽く持ててる人と重たいと感じながら思ってる人。

どちらがまだ荷物を重くしても大丈夫かって言えば、軽く持ててる人だと思う。

苦労しまくって20万円稼いだ人と楽しみながら20万円稼いだ人、どちらが先に30万円稼ぐだろうか。おそらく後者だと思う。

仕事で苦労するのは、それなりの理由がある。

10の仕事を全部ひとりでやるとしんどい。

誰かに任せれば、負担が減る。

そうやって誰かに任せて、自分がサボるを繰り返せば、あまり疲れない。

仮に、「自分1人で10のことを片付けるのが仕事だ」という価値観で仕事をしてるなら、誰かに自分の仕事を任せるという選択肢さえない。

だって、「任せること=仕事ができない」となるから。

すべてのことを自分1人でやってきて、それで信用されてきたんなら、尚更、任せることもできない。

だって、「任せること=信用されない」となるから。

自分1人で抱え込んで仕事してる人の思い込みはこうだけど、実際は、自分1人でやるのは会社にとっては迷惑にしかならない。

だって、自分1人で仕事を片付けないってことは、周りの人は任されない限り、その仕事できないということになる。

実際は、誰かに任せれば任せるほど、その誰かの能力は上がっていく。

会社としては、そちらのほうがありがたいと思う。

僕自身、仕事ができることに興味ない。

出来るだけ、疲れないように仕事をしている。

仕事の後、漫画もとりためたバラエティも全力で楽しみたいから、仕事は手抜き。

僕が仕事ができないキャラを引き受けることで誰かが仕事ができるようになるなら、喜んでその仕事を引き受ける。

僕が動かなければ、誰かが動く。その誰かが仕事ができるようになれば、困ったとき自分も助けてもらえるなという感覚。

自分より後輩に助けてもらうことも恥だと思ったことないし、失望されてもいいから自分が分からなかったら驚くべき初歩的なことをきくこともある。

だから仕事で大事にしてることは、

「仕事ができること」「評価されること」「信用されること」という価値観を捨ててることかな。

「苦労しないこと」が仕事において、一番大切な価値観としたときに、「信用されること」は邪魔でしかならない。

 

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 心理学へ
面白かったら、クリック!

 

読者登録よろーー

  ⇩

 

SNSもやってるんで、もしよかったら、フォローしてください( ´∀` )

 

Twitter: https://twitter.com/football8955?lang=ja

 

Facebook: https://www.facebook.com/profile.php?id=100014513885474

 

 

多少、気分が乗らなくてもやるもの。それが仕事。②

好きなことの中で、仕事にできることは少ない。

というより、好きなことを仕事にしようとした場合、時より「好き嫌い」という感情が邪魔になることがある。

というのは、今やってる仕事は、土日休みだとしても平日は毎日してるよね。

基本、毎日仕事をしてるわけだ。

ってことは、好きなことを仕事にしようと思った場合、その好きなことを毎日しなければならない。

今の仕事だって、気分が悪かろうが、今日が勤務日なら出勤するよね。

だって仕事だから。それでお金貰ってるから。

気分が悪かろうが、仕事にしようとするものは毎日しなければならない。

最初の動機が「好き」だとしても、毎日「好き」とは限らない。

今日は疲れててその好きなことをやる気力がなかったとしても、毎日やる。

”趣味”と”仕事”は違う。

趣味なら今日それやりたくないならやらないことを選んでも構わない。

だって、関係あるのは自分だけだから。

ただ、仕事となると違う。

自分がやりたいかやりたくないかの感情の前に、相手から求められたものがある。

求められたものを提供できなければお金は貰えないし、求められたものは自分の感情より前にでんとしてそこにある。

となると、自分の好きなことで相手に与えられるものはあるかと考えると、だいぶ数が絞られてくる。

好きなことのほとんどは、自分だけ豊かさを感じれるものだからだ。

・漫画読む

・映画見る

・お笑い見る

自分の好きなことをリストアップすれば分かると思うけど、ほぼ相手に与えられるものはない。

僕の場合は、

・書く

・話す

ぐらいが相手に与えられる可能性があるもので、今、ブログを書いてるが、誰かが僕のブログを読むことで面白いと思ってもらえれば、相手に与えたことになる。

面白いと思ってくれたら、ブログの更新を期待して待つと思うから、そのためにも自分の気分関係なく、ブログを書かなければならない。

ブログを更新しなければ、似たようなブログを探してしかも更新頻度が高いブログを読めば済む。

自分が読者の視点に立ってみれば分かりやすい、自分が読んでるブログはほぼ毎日更新されてる。

読者の視点が分かりにくければ、コンビニのお客さん、スーパーのお客さんの視点に立てば分かると思う。開店時間だなと思って、行ったら店長の気まぐれお店あいてなかったら、ここのお店行くのをやめようって思うでしょ。

だから、”書きたいから書く”とか"話したいから話す"なんてくだらない。

書くことで相手に求められたいんだったら、"書きたくなくても書く"。

 

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 心理学へ
面白かったら、クリック!

 

読者登録よろーー

  ⇩

SNSもやってるんで、もしよかったら、フォローしてください( ´∀` )

 

Twitter: https://twitter.com/football8955?lang=ja

 

Facebook: https://www.facebook.com/profile.php?id=100014513885474

 

 

多少、気分が乗らなくてもやるもの。それが仕事。

「好きだからこれをやる」

「やりたいことだけやる」

だとしたら、お仕事をやりたくない日はやらなくていいのか?

お風呂に入りたくない日は入らなくていいのか?

歯磨きしたくない日はしなくていいのか?

ということになる。

答えは、もちろん、Noである。

気分が乗らなくても、お仕事に行くし、お風呂も歯磨きもしなければならない。

特に、仕事で言えば、

自分がこの仕事を好きかどうかより、

相手に求められてることを提供できるかのことが重要なのだ。

気分が乗らなくても、相手が求めるならそれを提供しないとお金はもらえないのだ。

気分が乗らなくても、あなたの仕事がスーパーのレジならレジ業務をしないといけないし、途中で嫌気がさして、業務を放棄すれば、お金ももらえない、会社もクビになる。

仕事に行きたくない気分でも、仕事がある日は仕事に行かなければいけない。

行かなくてもいいけど、相手が求めるものを提供することができない人とみなされ、結局クビになる。

当たり前だが、自分の仕事に対する自分の感情より先に目の前に人さまに求められた仕事がある。

失恋で落ち込んでて仕事どころじゃなくても、職場に来たら、自分の感情関係なく、無機質に仕事がある。

だから、仕事に対する前提として、

「気分が乗らなくても、ほぼ毎日ある仕事を毎日やる」

気分が乗らないからやらないは、所詮、趣味だ。

仕事はその仕事が好きかどうかなんて関係ない。

その仕事で相手に求められたことを提供できることがまず前提で、その上で、

提供し続けることができるかなのだ。

だから、仮にものを書くことを仕事にしたいと考えたとき、まず、毎日、書けることが大切なのだ。気分が乗らないから、しんどいからといって、書くのをやめれば、仕事にはできないということになる。

 

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 心理学へ
面白かったら、クリック!

 

読者登録よろーー

  ⇩

 

SNSもやってるんで、もしよかったら、フォローしてください( ´∀` )

 

Twitter: https://twitter.com/football8955?lang=ja

 

Facebook: https://www.facebook.com/profile.php?id=100014513885474