もうちょっと休みが欲しいし、もうちょっとお金が欲しい

行き当たりばったりでしか行動してないし、

超目先の欲求だけしか見てない。

今は、「もうちょっと休みがほしい」。

八月から、月曜日の夜は働かなくていい。

とりあえず、一日休みがないというスケジュールに変わりなしだけど、ゆるい毎日になる。

普通に、毎日、好きなことできるぐらいになる。ランニングして、ブログ書いて、ドラマ見て、読書して毎日できるようになる。

月曜日の夜働かなくなると、当たり前ものことが当たり前にできるようになる。

毎日、ランニングしてると、代謝が良くなる影響なのか、アラームセットしなくても朝早く目が覚めるから、好きなことに時間がかけられる。

 

そうやって、「もうちょっと休みがほしい」が叶えられていくと、次は、「もっとお金が欲しい」が出てくる。

で、肝心のお金を得る手段だが、「稼ぐ」と「もらう」しかない。

「お金の稼ぎ方」にはどんなものがあるか?

今、やってる仕事なら仕事を楽しめているかが前提にある。

つまり、ストレスを抱えて、仕事をしているかという問題である。

今、してる仕事が主な収入源になるわけだから、嫌だったら何が嫌なのかを明確して、そこと対処してからじゃないと、もっとお金稼げない。

人間関係が嫌なのか、業務自体が嫌なのか、要は、メンタル的な要因なら、そこを解決しないと、もっとお金も稼げない。

「もっと」という考え自体が、余裕がないと出ない考えだから。

僕の場合は、今の仕事もノーストレスだから、今の仕事を楽しめてるということにして話進めよう。

今よりもっとお金が欲しいと思ったら、当然だけど、今よりもっと働くしかないのだ。

それって、結局、今してる仕事にもっと時間を費やせってこと?ってなると思うんだけど、もう1つ方法あるよね。

別の所に時間をかければいい。別の所で働けばいいだけ。

結局、働くことには変わりないんだけど、僕の場合は、八月からスケジュールがゆるくなるから、その分、何かに時間が掛けられる。

その何か?今してることとはかけ離れたことをしようと思う。

端的に言うと、ネットで副業。クラウドワークスやろうと思う。

学生のとき、一回だけやって、500円もらったことがある。

それを八月のどっかのタイミングから、毎日一記事書こうと思う。

一記事500円である。恐ろしく、お金を稼ぐという観点で言えば、効率が悪い。

けど、書くことは好きだ。得意というより好きだから書ける。だから、今もブログを書いてる。もちろん、お金なんてゼロ円だし、アクセス数もあまり伸びてない。

これから先、お金が貰えなくても、ブログで有名にならなくても、ブログは好きだから書けるんだと思う。

なのに、クラウドワークスでお金をもらおうとするのは、矛盾してるんじゃないかって?

それは、僕だって、好きなことでお金を稼げることがあるなら稼ぎたいって思うのよ。

好きなことの中で、数少ない、生産的なことが何かを書くってことだけなんだから。

ちょっとぐらい稼ぎたいよ。それも、稼ぐんだったら、普通に働いたほうが効率いいわ。

それでも、それで稼ぐのは、少しでも好きで過ごせる純度を高めるため。

あと、収入源のパイプが二つある(バイト掛け持ち二つ)

その二つを太くするより、新たに細いけど1つ作ってあげられたら、小さいけど成功体験だと思うから、新しい細いパイプ作りたいよね。

 

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できるけど、やりたくないことはやめようね

僕の中には、「できるけど、やりたくないこと」というのがある。

これは、自分にとっては、「できること」なわけだから、しんどくはないわけ。

しかも、それして、お金貰ってるわけ。最初は、「できるけど、やりたくないこと」ではなかった。単に、お金を稼ぐために、できること、得意なことを淡々とやってる感覚だった。

今、それをやってるとき、「そこに時間をかけたくないんだよなー」って思う。

もちろん、楽ではある。ただ、楽しくない。だって、得意だけど、好きなことではないから。

僕の得意なことは、「視野が広い、情報を複数処理できる、二手三手先が読める、要領がいい」であり、単に、自分の特性が生きる場所で働いてるから、休みなしに働いてる今でも、疲れすぎず、ノーストレスで過ごせるわけだ。

でも、働いてるとき、ワクワクしない。

ブログを書いてる今のほうがワクワクしてるし、

ドラマ見てるときのほうがワクワクしてるし

ランニングしてるときのほうが楽しいし

雑談してるときのほうが楽しいし、

今、書いたことのほうがワクワクするわけ。

でも、無意味なわけ。そんなもん、僕に限らず、みんなの好きなことって、無意味なわけ。好きなことやったって、お金貰えないの。最初は。

でも、好きなことやってるときって、「時間のムダ」なんて思わない。

逆に、今、ありがたくお金がもらえることをしてるときのほうが「そこに時間をかけたくないんだよなー」って思うわけ。

ってことは、単純に、好きなことに時間を費やせてないってこと。

将来、好きなことで稼げるかはまず置いておいて、

今、純粋に好きなことに時間をかけたい。

お金は生まないけど、ドラマ見たいし、ブログ書きたいし、雑談したいし、映画見たいし、もっと好きなことやりまくって、一日24時間じゃ足りないなーって思いたいわけ。

そのためには、好きなことするための最低限のお金と時間が必要。 

だから、必然的に、お金と時間についても真剣に考えないといけない。

月収15万円なら、どうやったら20万円、30万円に到達できるのか?

単に、がむしゃらに働きまくるのか?

そうすれば、好きなことする時間潰されませんか?

そもそも、好きなことを仕事にすればいいんか?

副業でお金とか稼がれへんのか?

例えば、自分の得意なことで、お金を生み出せるものはないのか?

ブログとかなんとかかんとか?

今の月収でもいいけど、もう五万円あれば、余裕ができるなって思う。

正直、もっと働くとか親に貰うぐらいしか手段が思いつかない。

目的ははっきりした。手段をもっとくださいな。

 

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ブログ用アンテナと雑談用アンテナを脳に備え付ける方法

「ブログを書くこと」と「雑談」は似てる。

「書くことが思いつかない」と「話すことが思いつかない」の原因も同じ。

一言で言えば、脳の癖。一般的に言うと、習慣である。

「ブログを書くこと」が習慣化されてないから、書けないだけ。

「雑談すること」が習慣化されてないから、雑談できないだけ。

テクニックとか才能以前に、まずそこ。

「書くことが思いつかない」から「書けない」んじゃなくて、

それでも、「書かない」から、いつまで経っても、「書くことが思いつかない」のだ。

だから、スパルタ的なアドバイスになるかもだけど、

「書くことが思いつかなくても、強引に書け!」

ということになる。

例えば、「ブログを毎日更新したい」と思ったとする。

最初の内は、今までの経験、インプットを書く。要は、貯金があって、そこからお金を出していくイメージだ。

でも、その貯金もすぐに尽きる。僕の場合は、一週間ぐらいだ。

そこで、「書くことが思いつかない」ゾーンに入る。

そこが、「毎日書けるか書けないか」の分かれ目になるのだ。

それでも、「毎日書きたい」って思ってるなら、元も子もないアドバイスだが「毎日書け」としか言えない。

ということは、「書くことが思いつかないけど、書く」がずっと続いていく。

だから、まぁー感じとしてはこうなる。

「書くことが思いつかない。でも、なんとかひねり出して、書いた(一、二週間日目)

いざ、書くってなったときに、書くことが思いつかない状態嫌だなと思い始め、書くまでの一日過ごしてる間で気づいたこととかメモしようってなる(3、四週間目)

朝起きて、まず思うこと、「書くこと今日も特にありません」。だから、いつものように、1日の間にブログの書く案とか気づいたことをメモっておこうって思う。思考回路としては、自分に起きたことはブログにリンクできるかどうかなって思う。(一か月)」

今、現在どうかと言うと、脳が勝手にこれらのことをやってくれてる感じ。

脳としては「どうせ、毎日書くわけだから、この出来事に今まで引っかかりもしなかったかもしれないけど、これにも引っかかれよバカ」みたいな感じ。

ブログに書くための材料を勝手に脳が拾ってくれるイメージ。

でも、最初からそうなったわけではない。

「ブログ書くことが思いつかない」状態を少しでも和らげるために、日ごろから半ば無理してアンテナ張ってたのが、そうやって毎日アンテナ張ってるものだから、脳が勝手に「じゃあ、ブログ書くためのアンテナずっとここはっとけ」みたいな感じで、ずっと張られてる感覚。

だから、よくね、「ブログ毎日書くためには、日ごろから、アンテナ立てて、ブログ書くネタさがして、メモしようね」みたいなアドバイスあるんだけど、そんなもん「書くこと思いつかないけど、強引に書く」を毎日やってたら、こんなアドバイス勝手に守られるわけ。

だって、ブログ用のアンテナ勝手に備え付けられちゃってるし。

それと、雑談も同じ。

「話すことが思いつかない」は、「それでも話す」を繰り返す。

それで、その日、うまく話せなくても、次の日までにその状況が嫌だから、ネタとかどっかから仕入れようとする。で、またそれでも話す。を繰り返してたら、勝手に、雑談上手になって、雑談用アンテナ完成するから。

たぶん、これブログとか雑談に限ったことじゃないね。

これができないとかあれができないとかって、結局、アンテナ化するまで継続してないだけじゃないかな?

 

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器用貧乏が一生、器用貧乏で終わるわけ

仕事ができる人と仕事ができない人、どちらに憧れますか?

僕は、「仕事ができない人」になりたい。

僕は、平均的な「仕事ができる人」と客観視してる。

要は、器用で、イメージは10ある仕事の内、6できる。

ある程度、要領がよく、周りが見えて、機転が利いて、仕事の幅があって、、、。

でも、所詮、「ある程度」なわけ。

「仕事ができる人」という括りの中で言えば、もっと上には上がいる。

10ある仕事の内、9できちゃう人もいる。異常に、記憶力が良く、仕事の飲み込みが速い人、僕よりも複数処理能力があって、できる仕事の幅がある人。

前まで、そういう人見て、素直にすごいなって思ったり、はたまた劣等感を抱いたりしてたんだけど、もうそういうのは一切ない。

ガチで、「仕事ができない人」になりたいし、僕自身、もっと仕事ができない人になりたいと思ってる。

なぜ、「仕事ができない人」に憧れてるのか?

1つは、「仕事ができる人」は、器用貧乏で一生を終える確率が高いということ。

さっきも書いたが、10ある仕事9できてしまえるという能力。

これは、サッカーもできる。

野球もできる。

将棋もできる。

数学もできる。

歴史もできる。

絵もできる。

実際、こういう人はいる。ここから、活躍する人と活躍しない人が出てくる。

活躍しない人は、全部ある程度できるから全部やろうとする人。

反対に、活躍する人は、一本に絞った人である。

イチローは運動神経抜群でも、サッカーではなく野球だけに絞った。

村上春樹はエッセイも国語の先生もできたかもしれないけど、小説だけに絞った。

活躍した人は、一番得意なこと一本に絞った。(活躍してる人が、皆、器用な人だと仮定して)

10ある仕事の内、9できるけど、10の内、2,3ぐらいまで減らさないとどの分野でもそうだけど大成しないよってこと。

そのためには、できるけど、やりたくないことはやらないと決めるってことなんだけど、どうやってやりたくないことを手放すかってことだよね。

それが二つ目。

できるけど、やりたくないことを手放すのは、分かった。

あと、できるけど、やったら疲れることを手放すことも、追加しておこう。

どうすればいいか?

とりあえず、誰かに頼る、助けてもらう、やっててお願いする、やってもらったほうが速いならその人にやってもらうってこと。

全部、同じ意味だけど、これひっくるめて、「他力を使う」ってこと。

「他力を使う」ってことで、お手本になるのが、「仕事ができない人」ということになる。

この人たちは、10ある仕事2,3しかできない。要は、「仕事ができる人」と反対の特性を持つ。

要領が悪いが、2,3しかできないその仕事はスペシャリストとか、器用ではないけど、料理だけは誰にも負けないとか重たい荷物持っても全然疲れないとか。

イメージ、仕事ができる人は広く、まんべんなくでき、仕事ができない人は、狭いができるってこと。

そこから、大成する人は共通して、深くできるかってことになる。

仕事ができない人は、そういう意味では、深くできるってことでは一番近い。

「広く、深く」という言葉はあまり聴きなじみがないけど、「狭く、深く」は聞きなじみがあり、理にも適ってる考え方だと思う。

だから、仕事ができる人は、仕事ができない人を見習って、できるけど、やらないことを増やしていく。そうやって、広くを狭くする。

逆に、「仕事ができない人」は最初から、「狭さ」を持ってるんだから、「広く」に憧れてはいけない。

「仕事ができない人」の中にも何種類かいて、

仕事ができないことに罪悪感を持ってる人もいるし、

仕事ができないことに頓着しない人もいるし、

仕事ができないこと自体に気づいてない人もいる、

何種類かいるんだけど、一番は、数少ない自分の得意なことがあること、

誰にも負けないというスキルがあることにプライドを持つってことだよね。

それは自慢できるから。仕事ができる人は、誰にも負けないというスキルを持たずに終わる人もいるし、持ってるんだけど、気づかずに終わるケースもあるから。

数学だけ120点

国語だけ120点

野球だけ120点

おしゃれだけ120点

笑顔だけ120点

かわいいだけ120点

それでいいと思うんだけど(笑)

あと、120点に出来るモノを増やすっていうのも大切だよね。

 

※ちょっと、余談というかこれの追加みたいになっちゃうんだけど、世の中の大半の仕事、「これ、僕がやらなくてもいいよね」ってものだよね。

今、そういうのは、自分はやらずに、誰かにやってもらうように心掛けてます。

あと、分からない業務とかもついでに分からないままにしてます。

なぜなら、やりたくないから。できるけどやりたくないことやってるとき、いつも頭の中で「そこに時間かけたくないんだよなー」って思います。

当たり前ですが、やりたくないことに時間をかけたくありません。やりたいことに時間をかけたい。

そのためには、先に、何に時間をかけたくないかを考え、決めなければならない。

てか、もう決まってます。

 

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仕事するのは、人を幸せにするため

「過保護のカホコ」というドラマの第一話を見た。

その中で「なんのために人は働くのか?」と聞かれたカホコは、

「人を幸せにするため、人を喜ばせるため」と答えた。

ちなみに、人生初のバイト(ティッシュ配り、ピザのデリバリー)を終えた後に出た答えである。

なんかめちゃくちゃ素直な人の答えだなと思う反面、結局、働く理由の答えを突き詰めたら、この答えにたどりつくんだろうなと思う。

まぁ、僕はそんな大層な理由で働いてない。

「一番はお金のため。お金のために自分でもできる、自分にとって苦労しないで済む方法でお金を稼いでる。最低限、自分の好きなことができるお金だけ稼げれば問題ない。お笑い見て、漫画読んで、ブログ書いて、ランニングできればそれで充分。」

基本、自分のためにしか働いてない。

あと、別に悪いとも思ってない。だって、働く理由の行き着く先は、結局同じになるから。

「人を幸せにするため」

最終的には、そこにたどり着く。

なぜかというと、自分だけを楽しませることは飽きるからだ。

自分を楽しませることに飽きた人間がやることは、必然的に、他人を楽しませることに走る。

自分のコップに並々水を注げば、他の空いたコップに水を注ぐように。

勝手に、自分が楽しんだ分を、他人に、社会に還元するようになる。

少なくとも、僕はそうだ。

まだ、自分のためだけに働くという意識はあるけど、そこに飽きている自分もいる。

自分の持っているもので社会に還元できるものはないだろうかって考えるし、

逆に、今、苦手なものとか僕じゃなくても他人がやったほうがいいことでお金を稼いでるなら、誰かほかの人に任せて、自分は得意なこと、好きなことだけやれば、もっと社会に貢献できるだろうし、なによりそっちのほうがもっと楽しめるんじゃないかとも思う。

 

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仕事ができることとか器用であることはなんの自慢にもならない

圧倒的に仕事ができる人は目立つ

圧倒的に仕事ができない人も目立つ

中途半端な人、平均的になんでもできる人、器用な人というのは、目立たないし、そういう人は需要がパンクしてるからもういらない。

だって、あなたの職場なら職場で回りを振り返ってほしい。

みんな中途半端になんでもできる人、なんでもそつなくこなせる人。そんな人ばっかりだろう。

だから、仕事ができることが自慢にならないし、ましてや器用なことも自慢にならない。

かくゆう僕も、なんでも卒なくこなせるほうだし、器用な人の部類なんだと思う。

でも、器用な人の需要はパンクしちゃってるから、器用であること意味を成さない。

要は、空気を読んで、正しい答えを出す作業も、小手先の処世術も意味がないってことだ。というより、その場所の競争率は、どの場所の競争率よりも高い。

要は、目立つのに時間が掛かるし、一生目立たないで終わる確率の方が高い。

そうなると、何に需要があるかっていう話になる。

もちろん、仕事ができないことに需要がある。

平凡、平均より非凡のほうが需要がある。

10ある仕事を8できる能力より1しかできないけど、その1はスペシャリストの人が求められる。

ここで1個例を出そう。

今、滝沢カレンというハーフタレントが引っ張りだこだ。

彼女の特徴は日本語の言い間違えだ。もちろん意図した言い間違えではなく、天然で、

それでウケをかっさらう。見方を変えれば、日本語ができてないわけだ。

でも、お笑い的な視点で言えば、正解なのだ。

彼女が最高の言い間違えをする。それを回りのお笑いエリートが突っ込んで笑いに変える。

お笑いエリートというのは、10ある仕事を8できる人たち。

バカリズム、千原ジュニア、有吉弘行、くりぃむしちゅーとか要はMCの位置だ。

ここの需要はパンクしてる。だってカッコいいし、自分を一番にスマート見せられるからだ。

反対に滝沢カレンは、10ある仕事で1だけやってる感じだ。

でも、その1が破壊力抜群なのだ。狩野英孝とか出川哲郎とかも同じ類である。

計算できる笑いと計算できない笑いがあるとすれば、この人たちは計算できない笑い。

でも、回りにお笑いエリートみたいな計算できる笑いを置いておけば、計算できない笑いは爆発力のある計算できる笑いに変わる。

アメトークとかロンハーとかQさまを見れば、彼らがテレビで出続けてる理由が分かると思う。

表面的な仕事ができるとかできないって関係ないし、ってことは仕事ができたからって何も自慢にならないわけ。

だって、仕事ができたところで目立たないから。

つまり、それは魅力がないってこと。仕事できる人より仕事できなくて、素直の人のほうがかわいいし、愛される。

生きていくにしたがって、できないこと分かれば、やりたくないことが分かれば、またそれに従えば従うほど、目立てるはず

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ドルトムントのモルをこれから生かすも殺すもドルトムント次第!

サッカーは11対11で行われる。

ということは、みんながほとんど平均的にうまい人と仮定し、その中で圧倒的にうまい人がいたら、勝つ確率がうんと高くなるということだ。

本田圭佑の言葉を借りれば、「個の力」というやつだ。

そして、昨日、フレンドリーマッチで浦和レッズ対ドルトムント戦があり、テレビで少しだけ見てた。

圧倒的な個の力はいた。ドルトムントのモルという選手。トルコ代表で、まだ19歳で、「トルコのメッシ」と呼ばれてるみたいだ。トルコのメッシと呼ばれてるだけあって、ドリブルがめちゃくちゃ細かいし、速いし、うまい。

実際この試合でも、浦和レッズの槙野のマッチアップしてたが、一対一で何回か抜かれ、内一回は、そのままシュートまで持ち込まれゴールを許されている。

1人の圧倒的な個の力は、相手のシステムを無力化する(11対11は、一人が二、三人抜くことで、数的有利な状況を作れる)

また、個の力を生かすも殺すも、組織次第ということになる。

例えば、本家のメッシはどうかと言えば、守備をしない。

ただモル同様、ドルブルが世界一うまく、一人で試合を決める能力、すなわちゴールを決める能力もこれまた世界一のため、その分の体力を温存するために、守備をしない。

メッシぐらいになれば、相手のディフェンダーが消耗してる時間帯も分かるだろうし、その時間帯狙って、守備の分の体力を、攻撃する分の体力に回せば、得点してくれる。

現に、リーグ戦では、毎試合得点してくれるわけだし。ライバルチームのレアルにいるクリスチアーノ・ロナウドも毎試合点を取る。メッシ同様守備をしない。

サッカーのゲームとかでよくある選手個人の能力を表す六角形のグラフ。

クリロナやメッシは守備は100の内30ぐらいの点数になってると思う。

一方、攻撃全般、パス、ドルブル、シュートはほぼ100に近い数字だと思う。

さっき、個の力を生かすも殺すも、組織次第と書いた。

もし、監督(組織)が、ディフェンス的なサッカーを好むとしよう。

チーム全員に守備の意識を植え付ける。モルもメッシもクリロナも例外なく守備をして、守備に体力を奪われたら、個の力が奪われることを意味する。

なんでもかんでも平均化したら、才能はつぶされるのだ。

攻撃が最強なら、ドルブルが最強なら、試合を決める能力があるなら、それだけさせてあげればいい。ムダに守備を覚えさせれば、攻撃能力は半減し、勝てる試合も勝てないのだ。

攻撃もできて、守備もできたら、最強なのか?そんなことない。

平均化すれば、非凡化されたものまで、平均化され、ただの器用なサッカー選手となる。

凹凸の凹は、凹らしく生きたほうがいいし、凸は、凸らしく生きたほうが組織の為だし、何より自分のため。

自分らしく生きられない場所なら、さっさと自分らしく生きられる場所にいったほうがいいよね。

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