好きなことを仕事にするには、今している仕事が「楽な感覚」であることが、絶対条件

 

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 このブログの記事の続き。

今回は、「好きなことを仕事にするには」。

好きなことを仕事にするには、どうすればいいか。

えっと、まず、仕事は、本人がその仕事が好きだろうが嫌いだろうが、意欲があろうがなかろうがは関係ない。

仕事が「できるか、できないか」が一番大切なの。

 仕事ができたら、それに見合ったお金がもらえて、仕事ができなかったら、それに見合ったお金がもらえる。

だから、「仕事」というジャンルに限っていえば、「好きなこと」より「得意であること」のほうが、重要視される。

僕が考える「得意なこと」は、

「他の人は、苦戦してるけど自分は簡単にできてしまうものだったり、

その仕事をしてるとき、楽な感覚、疲労感があんまり溜まらないもの。」

とりあえず、楽な感覚がとても大切で、例えば、不得意な仕事だったりすると、苦しくなるから、すぐ「できない」と打ち明けて、誰かに助けてもらえれば、「苦しい」から「楽しい」にはならなくても、「楽」の状態には、なるのだ。

アルバイトや正社員やなんにしろ、まず仕事全体通して、「楽」という状態にすること。

その「楽」にしていく過程で、これは得意で、これは不得意と、なんとなくでいいから、見つけておくこと。

それでやっと「楽」になった。仕事は、楽しいわけではないけど楽という状況。ストレスがない状況になった。

そうなったら、次は、「楽」から「楽しいこと、好きなこと」を見つける。もちろん仕事の中で。

えっと、まず、その前に、なぜ「楽しいこと」より「楽」が大切かというと、とりあえず、ツイート貼り付けます。

「あー死にたい」は、「あー楽になりたい」と言ってるのと、同じ。 「あー死にたい」と言ってる状況を想像すれば、分かると思う。

「苦しい」ときや「死にたい」ときに、楽しみたいとは思わない。というより、考えられなくて。まず、「楽になりたい」と思う。

つまり人間の欲の順番は、「楽になりたい」➡「楽しみたい」だからね。

パソコンで言えば、「楽」というフォルダの中に、「楽しい」というフォイルがある感じ。

だから、仕事全体通して、「楽」にしておく必要があるの。そうしないと、「楽」のフォルダを開けられないから。

ほんで、「楽」のフォルダの中に、「楽しい」を見つける。

僕の場合は、モスバーガーと銭湯をしてて、仕事は「楽」でした。

その上で、「会話」と「料理」という「楽しい」を見つけて、二つのバイトを辞めた。

おそらく、この二つを軸に、仕事を選んでいくんだと思う。

12/15~新潟のスキー場で働くのは、同年代の人がいっぱいいて、いっぱい話せるから行くわけ。

どうなるかは、分からないけど、でも、仕事の中で、「楽」と思える時間より「楽しい」と思える時間が増えてほしいし、そうなっていくんだと思う。

 

今の会社で、嫌なことが多すぎるので、転職したい気分です。どうすればいいですか

大学の友人から悩みのLINEが来た。LINEの内容をブログに載せてもいいと許可をもらったので、載せます。

 

Q:職場である人(先輩)がいて、その人は、他の先輩とは仲良しだが、ワシに対しては、冷たい。だから、自分が分からないことがあっても、仲良くないから、質問できない。あとクセのある人が多いし、いろいろな私情もあり、そんなこんなで転職したい。

 

A:僕の場合は、まず、その状況では、転職はしません。

その状況で転職することは、甘えであり、逃げだからです。いや、別に、逃げてこのまま上のような問題がなくなるなら、逃げて構いません。

でも、逃げたところで、逃げた状況で、逃げる前と似たような状況が現れます。

なぜ、逃げたら、逃げる前と似たような現実が現れるのか。

それは、質問者の今の現実と心の声(子供)、頭の声(大人)、三つの手がかりで紐解けます。

現実:わしに対しては、冷たい。

心の声(子供):冷たいのは嫌だ。もっと、ホントは自分にも話してほしい。

頭の声(大人):とりあえず我慢しよう。いずれ転職すれば、こんなことない。

これ見て、分かる通り、心の声から逃げたからその現実になっている。

「冷たいのは嫌だ」と思ってるのに、我慢するから、また、我慢させられる現実が現れる。これも、一種の逃げです。

「我慢、甘え、逃げる、耐える」は同じ意味です。

我慢すれば、我慢させられる現実。逃げれば、逃げたくなる現実。耐えれば、耐えたくなる現実。

この世界は、ものすごく単純な法則で成り立ってます。

じゃあ、どうすればいいか?

簡単です。今までと逆のことをすればいいんです。

質問者は、今まで、心の声から逃げてきた訳です。今度は、逃げずに、戦うんです。

「ワシに対して冷たい」という現実に対して、どう思い、どう感じたかを対象者に言うんです。

「冷たいのは嫌だ。もっと、ホントは自分にも話してほしい」

そう思ったなら、そう感じたなら、それを、外の現実にぶつけて下さい。

感受性は人それぞれなので、言うことは自分で決めること。

大事なのは、何度も書くけど、どう思い、どう感じたか、それに加えどうしてほしいかを対象者に、外の現実にぶつけることです。

ぶつける方法、本音を言う方法なんてありません。

あるとすれば、勇気だけです。あとは、「やるか、やらないか」だけです。

やれば、現実は変わるし、やらなければ、現実は変わらないだけです。ただ、それだけです。

幸いにも質問者には、「嫌なこと」がたくさんあります(不謹慎かー)

それら「嫌なこと」を全部書き出します。

その後、その嫌なことの横に、心の声を書いていきます。

「どうしたいか、どう思うか、どう感じた、どうしてほしいか」などなど書きます。

なんでも構いません。嫌なことがあれば、誰しも感情が湧きます。

それを書けばいいです。そして、その心の声を、外の現実にぶつける。

それを、「嫌なこと」の数だけやればいい。ゆっくりでいいから、やりやすいところからやっていきましょう。

その「嫌なこと」も全部書き、心の声も消化してから、転職してください。

というより、その頃には、転職する気になってないかもよ。

終わり。

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好きなことをするのは、自分を楽しませるだけだし、それ以外あるなら教えてよ

誰しも好きなことってあるでしょ。僕の場合は....

・料理

・サッカー

・ランニング、散歩

・映画鑑賞、海外ドラマ

・ファッション

・深夜ラジオ(芸人)、お笑い番組

・いろんな人と会話すること

・心理学

・読書

・ブログ書くこと、読むこと

ざっと、羅列するとこんな感じ。結構あるなー。

当たり前だけど、好きなこと、趣味って、お金が貰えなくても、人から褒められなくてもやるよね。

そうなのよ。人が好きなことをやる理由は一つだけ。

それは、自分の心を豊かにするためだけ。自分を楽しませるためだけ。

好きなことの本質は、自分を楽しませるだけだし、逆に、自分を楽しませるものではない場合、好きなことではない。

ビジネスで好きなことって言っている場合かもしれない。今の場合、加藤沙里がカープファンと急に公言しはじめ、テレビに出ているけど、あれなんかビジネスで好きなことと言っている感が半端ではない。

まさしく、ビジネスライク?テレビに出れるという見返りを求めて、「カープ好き」と公言するのは、好きなことの本質という観点から判断したとき、ものすごく違和感がある。

何度も書くが、好きなことをするのは、自分の心を豊かにするためだけのものであり、見返り、付加価値、プラスα言い方は何でもいいが、そういうものを求めるべきではない。

無意味・無生産・無邪気・無目的は上等だし、そうであればあるほど、今、好きなことはもっとハマるし、新たな好きなことも増える。

あと、好きなことをしていたら、必然的に、「上手くなりたい」と思いはじめる。

向上心というのは、一見よさげに見えるが、何度も書くが、自分を楽しませることが第一の好きなことをする目的なので、「上手くなりたい」という思いに拍車がかかれば、自ずと、「毎日、やろう」と考えてしまう。

皆、考えてほしい、自分の趣味を毎日やれと言われたら出来るか?日によって、やりたくないものもあれば、一週間に一回ぐらいでいいものだってあるだろう。

だから、「上手くなりたい」という向上心、「毎日、やろう」という継続力も、邪念だから、無理に持つ必要はない。

大切なのは、「好きなことを好きであり続けること」

だから、好きなことは、サボってもいいし、三日坊主でもいいし、褒められなくてもいいし、お金を稼げなくてもいい。

それじゃあ、「好きなことを仕事にする」というのは、間違っているのか?

それは、またの機会に書こうと思う。

 

 

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SNSのプロフに、自分の顔写真、実名を載せたら?怖いけど、メリットだらけだから、僕は、載せると決めたよ

食べたこともないのに、嫌いと判断することを、「食べず嫌い」と言うが、それは、食べ物に限ったものではない。

「〇〇ず嫌い」=一度もやったことがないのに、自分の中の「やりたくないこと」BOXに入れてしまうこと。

「〇〇ず嫌い」は、全員ある。

僕も、今日、見つけた。

それは、SNS上に自分の顔写真、実名を一度も載せたことがないこと。

LINE、ブログ、TwitterいずれのSNSでも、顔写真、実名をさらしたことがない。

なぜ、そのことに疑問を感じたかというと、今、僕が購読してるブログは、共通して、顔も名前もブログにさらしている。

心屋も、Happyも、はるも、岡田も、あやも、ナリも、皆、顔も名前もさらし、自己開示の度合いが高い。

ほとんど100%の自分をブログで出しているように感じる。

100%に近い自己開示ということは、自分の良い面ばかりをブログで表現できるわけではない。

必ず、悪い面も出てくる。本人が意図しようがしまいが、悪い面は出る。

批判とか炎上とか悪口は、必ず出てくるし、それは、コントロールできない。

なぜなら、他人だから。いくら、やめてほしいと願っても、他人の行動はコントロールできない。

親が思うような子にはならなかったという話があるぐらいだから、無理なのだ。

それでも、顔や名前、コンプッレクス、弱みをブログ出していくのは、デメリットよりメリットのほうが多いからだろう。特に、これからの時代は。

というのは、社会は、今、企業で雇われる生き方から起業を含めた個人が各々の特色を出してお金を生み出す生き方に移行している。

だって、何年後か知らないけど、ほとんどの仕事がロボットに奪われるわけだから、想像するに、独創的で、唯一の技術を持ってて、他の人と違いを見せられる何かを持ってる人だけしか生き残らない。

そうやって、考えていけば、ブログ全体で、匿名ブロガーが90%で、顔も名前も出しているブロガーが10%っていうデータが出ているぐらいだから。

顔も名前も出せば、その時点で、他の人と違いが見せられる。

顔も名前もさらせば、信用される。デコポンがプロフのラインと自分の顔写真がプロフのラインどちらからきたラインを真剣に返す。

おそらく、顔写真が貼ってるほう。だって、LINEの名前が山田君で、写真がデコポンなら、一瞬、お前誰だよって他人は思う。

あと、余談だけど、高校、大学でモテてきた人ほど、ラインのプロフは、自分の顔写真で、全員際立ってイケメンとかっていうわけではない。ぶすもぶさいくもモテている人ほど、プロフは自分の顔写真。

 

まぁ、長くなったけど、これから、SNSで顔も名前も出していこうと考えてる人(僕含めて)に向けて。

まず、SNSで顔も名前も弱みも出すメリット。

・信用される

・アクセス数上がる、フォロワー増える

・友達も増える(弱みを隠してる人と隠してない人だと、隠してない人のほうが信用されし、ネガティブな印象を受けない)

 

次に、SNSで顔も名前も出そうとしたときに起こる現象・ジレンマ。そしてその対処法

・ブサイク、ブスと思われるのではないかという自意識➡ほとんどの人は自分に興味がありません

・そもそも、やりたくない➡一度もやったことがないなら、一回だけでもやってみたら。やったこともないくせに、やりたくないなんて言ってんじゃねよ(# ゚Д゚)

・個人情報が特定されるの怖い➡やらない理由を探すのに必死だね。

・漠然といろんなことが怖い➡行動するために、心理学ではアファメーションというものがあるのでそれを唱えてください。あくまで行動するためのツールですので、アファメーションなしで怖いまま顔も名前もさらけてください。行動するとは本来、怖いものです。でも、怖さの軽減はできるので、アファメーションしてください。今から書くので、引っかかるのをアファメーションしてくれても構いませんし、怖いものが明確ならそれを書いてくださって構いません

 

「ブサイク(ブス)だと思われてもいい」

「嫌われてもいい」

「失敗してもいい」

「陰で笑われててもいい」

「悪口言われてもいい」

「個人を特定されてもいい」

「失望されてもいい」

どれか引っかかるのありますか?なければ作る。もしくは、顔や名前をさらすことが目的なので、一番、怖いまま挑むことです。

開き直るとか割り切るっていう感覚で、怖いままいどんでください。

僕は、さっきも書いたように、顔も名前もさらけてません。徐々にさらけ始めようと思います。もっと信用されたいし、好かれたいから。

まずは、ラインのプロフを顔写真にする。もし、顔写真見て皮肉を言ってきそうな人がいたら、予めブロックしておく。ホントの友達なら、皮肉なんて言わないし、マイナスなこと言う人とは縁を切ったほうがいいから。

その次にフェイスブック。フェイスブックは、実名、顔写真が半ば前提になっているから、難易度も低めだと思う。

ブログも顔写真にしていこう。ゆっくりでいいから、やろう。

本音を外の現実にぶつけることでしか現実は変わらない

「心地よさ・好き・楽しい」のエネルギーから得られる現実は、なんとなく良いもの

「嫌い・居心地悪い」のエネルギーから得られる現実は、なんとなく悪いもの

 

昨日の記事を要約すると、こうなる。

根拠はあるのか?

「この世界は目に見えないもの=95%、目に見えるもの=5%で出来ている」

これで大丈夫?

というより、そんなもん、結局、自分が体感しない限り、分からないのよ。

僕や誰かが、ブログや本で、いくら、心地よいを選択することによる現実の変化を訴えたところ、それを読んだ人が、やらない限り、その人は、今の現実の檻から抜けられない。

誰でも、できる。あとは、「やるか、やらないか」を選ぶだけ。

各々の素質や能力なんて関係ない。だって、「できる、できない」の問題は、一切、介入してないから。

ただ単に、「心地よい!好き!楽しい!」というエネルギーを出すだけ。

おいしいものを食べれば、そのエネルギー出るだろうし、映画が好きなら、そのエネルギーでるだろう。

誰にだって、好きなことや楽しいと思えることをするだけ。

そうすれば、遅かれ早かれ、現実は好転する。

もし、好きなことや楽しいことがない.....。と言う人が結構、多いみたいだが、そんなもん嘘だ。

というより、「好きなこと」に対するスタンスが間違っているため、もしくは、我慢してたり、やりたくないことや嫌いなことをやっていれば、好きなことをやる時間どころか考えられなくなるから、「好きなことが分からない」という現象が起きているのだ。

だから、もし、あなたが「好きなことが分からない」と言うなら、まず、始めにすることは、嫌いなこと、やりたくないこと、我慢していることを少しずつ辞めること。

昨日、少し書いたけど、もし、「会社に行きたくない」という現実があるなら、行きたくない理由が明確にあるはず。

それを紙に書いていって、解決策を考え、実行すること。まぁ、解決策といっても、本音を外の現実、会社に向かって、ぶつけるだけだ。

仕事でできないこと、分からないことを抱え込んでいるなら、出来そうな人、得意な人に頼むこと。

それで仮に、自分で解決しろと言われたとしても、本音を言えた時点で、言えなかった自分より成長している。

今までは、問題を抱え込んで、隠し、逃げ回っていたけど、素直に、正直に、行動することによって、周りの人どうこうより、何より自分が変わる。

問題を隠したり、問題から逃げ回っている状態は、ネガティブなエネルギーが流れている。居心地の悪さだったり、不快だったり、不安や心配だったり。

目に見えないもの(エネルギー)がマイナスだらけなら、現実も悪い状態に決まってる。

それを、本音を言うことによって、目に見えないもの(エネルギー)がマイナスからプラスに好転する。

そうすると、現実もそれに応える。

本音を言うこと、やりたくないことをやめることをしてこなかった人は、相当怖いと思う。

でも、こればかりは、やらないと解決しない。それをやらせるために、あれこれ書いてきたんだけど、これ読んでる人は、僕ではないから、怖いものを肩代わりしたくてもできない。

だから、あなたが今、書いたことを体感しない限り、今の現実の檻の中。

結局、勇気をもって、怖いまま飛び込めとか良薬苦に苦しの感覚とかバンジージャンプ飛ぶ感覚に似てるとか書いて、背中を押してあげることしかできないだもん。

あなたは僕ではないから、こればかりは、どうしようもない。文章のジレンマだし、ブログ書く人の宿命だね。

体感だよ、体感。

好きなことに関する記事載せとくね!併せて読んでね♪

 

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目に見えないもので目に見えるものは出来ている

この世界は、目に見えるものと目に見えないもので出来ている。

潜在意識と顕在意識。確認できる宇宙と確認できない宇宙。確認できる素粒子と確認できない素粒子。

それぞれ共通して、目に見えないもの=95%、目に見えるもの=5%の割合で構築されているみたいだ。

このことから分かる通り、目に見えるものは目に見えないもので出来ている。

もっと言えば、目に見えるものは目に見えないものの証拠、副産物でしかない。

だから、目に見えないもの(エネルギー)が良ければ、必然的に目に見えるもの(現実)は良くなるし、

反対に、目に見えないもの(エネルギー)が悪ければ、目に見えるもの(現実)は悪くなるという法則。

だから、今、これを読んでいるあなたが悪い現実ならば、悪いエネルギーが出ているわけだから、今、やるべきことは、良いエネルギーを出して、良い現実にしていくことである。

今、どういう現実なのか。はたまたどういう感覚なのか。

会社に行きたくないなら、なんで行きたくないか書いてみよう。

上司が怖いから?通勤時間が長いから?満員電車が不愉快?残業が多いから?

会社勤めをしたことがないから、分からないけど、やりたくないのには大抵理由があるわけで、理由が明確なら、その理由、問題から逃げないこと、我慢しないこと。

問題から逃げるから、いつまでも「会社に行きたくない」現実がついてくる。

上司が怖いなら、説教やめてもらえませんかとか優しくお願いしますとかなんでもいいから上司に対して本音を言おう。

上司を怒らせないように、ミスせず仕事をすることが解決策ではないから。

それは、単なる逃げだから。逃げても、その怖い上司という現実は居座り続けるから。

ちゃんと自分の本音に向き合って、それを現実にぶつけられるかどうかで、現実は決まる。

本音に気づいて、それを吐き出せたときって、気持ちいいよね。

その気持ちいいというエネルギーが、なんとなく良い現実をもたらすんだよ。

それは、具体的な物だったり出来事かもしれないし、気分かもしれない。

特定の出来事の引き寄せ方を僕は知らないけど、なんとなく良い現実のもたらしかたは知っている。

だから、目標や夢は捨てた。

今、この瞬間心地よさだけを選択すれば、半年後、一年後、なにが起こるかは分からないけど、なんとなくの良い現実があるとある時期悟ったから。

お金がなくてもあっても、心の豊かさは変わらず高いのは、なぜ?

限られた状況・環境でもすることは同じだなと今思う。

限られたお金で自分を喜ばせるモノ・コトに投資していく。

今よりお金があっても、結局同じ。

自分の心地よさに投資するだけだ。

お金は自分の心地よさを作るための単なる道具に過ぎない。

だから、自分の心地よさを作るためにお金は絶対条件かというとそれはノーだ。

ないならないで、他の道具で、心地よさを作る。

具体的には、他の人からお金をもらう、食事を奢ってもらう、、、などなど。

他にも探せば、いろいろある。

自分の心地よさに妥協しない覚悟さえすれば、あとはなにもいらない。

というより、自分を生きる覚悟さえ出来れば、自分が進むべき道も分かる。

例外なんていうものはない。自分を生きる覚悟、心地よさに妥協しない覚悟さえあれば、道は全員分かる。

というより、自分の感性に問いて、その答えを体感するだけだから、そんなものは全員がやろうと思えばできるし、やらなければやらないまんま変わらないだけ。

別に難しくもなんともない。

自分の感性・感覚に素直に従う。

好き・嫌い、やりたい・やりたくないの軸で行動する。

お金が無くて、困ってるなら、誰かに助けてもらえば、済む話なのだ。

それができないのは、何度も書くけど自分を生きると決めてないから。

社会とか常識とか他人とかそんなもの関係ない。

自分が自分らしくあれるのであれば、嫌われてもいいし、失望されてもいいし、怒られてもいいし、世間知らずと思われてもいい。

僕にとっての一番の恐怖は、自分の感性を捨て去ることだ。

「やりたくないことは、やめて

やりたいことだけやって

嫌いなことは、やめて

好きなことだけやって

思ったことは口に出す

我慢してることは、やめる」

最近、こんなことしか考えてない。