相手のことはコントロールできなくても、自分のことはコントロールできる
相手のことはコントロールできなくても、自分のことはコントロールできる。
仕事で、「失敗したくない」って思うのは、相手は、失敗すると怒るかもしれないからだ。
「絶対に、怒らない」という確約ができればいいのだが、相手のことはコントロールできないのだ。
失敗して、怒る人もいれば、怒らない人もいる。普段、怒らない人だって、失敗が大きければ、怒るかもしれないしね。
同じ景色を見ても、感じ方がいろいろあるように、同じ出来事にあっても、感じ方はいろいろある。
要は、「相手のことはコントロールできない」という前提があるということ。
その前提がある上で、「自分のことはコントロールできるよ」っていう前提もある。
コントロールできるということは、心の前提だって自由に選べるということだ。
「しんどい」心の前提を選べるし、「楽しい」心の前提も選べる。
「失敗したくない」という前提はしんどい。
ゲームしてるとき、「失敗したくない」なんて思わない。ただ無心でやってる。
なんなら、失敗さえも楽しむためのスパイスになる。
「失敗したくない」より「失敗しても大丈夫」の心の前提に近い。
「失敗しても大丈夫」と思えてるとき、心はすごく楽だ。
「失敗しても大丈夫」と思えてるとき、困ったとき、助けてもらえると思えるときだ。
「失敗したくない」のときは、周りが敵に見えるけど、「失敗しても大丈夫」のときは、周りが味方だと思ってる。
「失敗したくない」だと、チャレンジして失敗したら、怒られると思ってるから、失敗しないようにチャレンジしない。
仕事で言えば、言われたことしかやらなくなる。
「失敗しても大丈夫」だと、何かあったら、周りが助けてくれると思ってるから、いっぱいチャレンジする。
場数を踏むから、上達する。
ただ、今まで、「失敗したくない」前提で行動してきた人は、「失敗しても大丈夫」って思えないはず。
だって、自分の周りは敵だらけだって思ってるのに(思い込んでるだけ)、自分の周りは味方だらけに変わるっていうのは、信じがたいから。
なので、「失敗しても大丈夫」ということにして動く。
とりあえず、自分は、「失敗しても大丈夫」という設定にして、動く。
うまくいくこともあれば、うまくいかないこともある。
失敗すれば、普通に怒られることもあるだろう。
だって、「相手はコントロールできない」という前提があるから。
それでも、「失敗しても大丈夫」って思って、動けてるとき、すごく心が軽い。
出来事や相手をコントロールできなくても、自分は楽しむようにはコントロールできる。
もちろん、いい結果になるようにコントロールできれば、ベストだけど、最低限、自分は楽しめるという担保が、「しんどい」心の前提を選ばなければ、得られる。
「負けたくない」という思いはしんどい。
だから、「負けてもいい」にチェンジする。
「負けても大丈夫」と思えるような出来事がなかったとしても、そう思って、動く。
なぜなら、「負けても大丈夫」って思えてるときのほうが圧倒的に楽しいから。
思ったこと口に出さないこと、我慢することはしんどい。
だから、思ったこと口に出すし、我慢しないことを選ばない。
思ったこと口に出して、嫌われないという約束がされてるわけじゃないけど、そっちのほうが圧倒的に楽しいから、そっちを選ぶ。
相手(外側の出来事)はコントロールできない。結果は偶然。
でも、自分は楽しめるようにコントロールできる。
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