「私はこの世界に存在してもいい」を強くするには
「仕事ができない」という現実を突きつけられると、誰しも落ち込むし、自己嫌悪する。
それは、僕もそうだし、自然なことだよ。
「できない」という出来事は、自己否定を引き起こす。
マイナスな考えが、頭を支配する。
「自分が仕事できないから、同僚がマジでアイツ使えないなと陰口を言ってるかもしれない。」
「このまま仕事ができるようにならなかったら、職場のお荷物になるかも」
「この職場にいる意味あるのかな?だって仕事もできないし」
的なマイナスな考えが、頭を埋め尽くす♪
でも、「できる」という出来事は、自己肯定を引き起こしてくれる。
仕事で不甲斐ないことがあっても、プライベートで小さなことでもできたら、自己肯定になる。
前に、テレビで、うつの人がリハビリとして初めにやったらいいのが「食器洗い」と心理学者が言っていた。
なぜなら、食器洗いをして、食器洗いを完了すれば、「自分には課題(タスク)を終わらせることができる」という自信になるかららしい。
そもそも、うつになったのは、「この世界に、私は必要ない」が極度に強くなったわけだから、
タスクを一個完了させることで、「私もこの世界に存在してもいい」と思える。
もっとタスクを完了させられば、「もっと私はこの世界に存在してもいい」と思えるわけ。
「この世界に私は必要ない」が起こる原因は、
仕事ができない。
そのことで上司に怒られた。
毎日怒られる。
家庭内暴力。
休みがない。
残業が多すぎる。
などなどあって、例えば、「残業してくれ!」って言われたときに、本音は、「残業したくない」けど、残業すれば「この世界に私は必要ない」が強くなる。
本音は「No!」なら現実世界でも「NO!」を突きつけないと「この世界に私は必要ない」が強くなるからね。
本音って、めっちゃ簡単な答え。
だって、「残業したくないなら、残業しません!」なんてめっちゃ簡単な答えなわけ。
ただ、怖いだけ。
「簡単な答えというのは、怖い!」っていうのを知ったうえで、簡単な答えをやっていくわけ。
「仕事で知らないことがあります。どうすればいいですか?」
「上司に聞く」の一択しかなくて、それが同じことを聞くことになっても、聞かないといけないわけ。
同じことを聞いて、「一回で覚えよう」と言われて、それでまた自己否定になろうが、簡単な答え(聞く)でしか問題って解決しないわけ。
「知らないことを知らない」っていうのんって、怖いけど、それでしか解決できないんだし、しょうがない。
さっき、「タスクを一個完了させることで、「私もこの世界に存在してもいい」と思える。」と書いた。
簡単な答えをやるというタスクを完了することは、そのまま「私もこの世界に存在してもいい」という自己肯定に繋がり、
本音を言うというタスクを完了すれば、それも「私もこの世界に存在してもいい」という自己肯定に繋がる。
小さなことで言えば、食器洗いも、漫画を読むことも、掃除機をかけることも、料理をすることも、好きなことを普通にやることは、そのまま「私もこの世界に存在してもいい」という自己肯定を強くしてくれる。
「私もこの世界に存在してもいい」感を強くしてあげる。
感度を上げると言い換えよう。
感度を上げるために、簡単な答えをやって、本音を言って、好きなことをやる。